工藤遥ちゃんのファラオの墓みた後好きすぎて辛い
こんなブログでも見てくれる人が1人はいるかもしれないから舞台のネタバレは控えますが…
6月3日と4日、2日間にかけて「ファラオの墓」見てきました
今の気持ち→…辛い、辛すぎる!
内容が~かっこよさが~
とかじゃなくて、単に「ハルちゃんをこれ以上好きになるのが辛すぎる!」という気持ち
新幹線の行き帰りで久々に小説読みまして
以前は活字中毒だったのに、ハルヲタになってからというもの、ハロに関する情報しか追わず、仕事、家庭の中で母と妻としての最低限、工藤遥、この三つの要素だけで生きてきました
でもふと思い立って久々に小説買って一気に読んだんですが
あえてタイトル書きませんが、一人の女性について書いてあって、その女性が死刑執行される冒頭から始まり、その人の今までの人生についてまあ物語は始まるわけです
それを読みながら思ったんだけど、私がハルちゃん推しになったのは三年前から
そこから遡ってチビハル時代からのハルちゃんのほとんど全ての世に出てるものを見たり読んだり聞いたりしてハルちゃんをもっと好きになり、そこから現在に至るまでハルちゃんを応援してるわけです
で、そんな中、ハルちゃんは卒業を決めてしまって今後は女優さんとして頑張っていくって発表がされたわけです
もし私がハルちゃん卒業する時期に初めてハルちゃんを知って、そこから遡っていってたとしたら、リアルタイムで生のモーニング娘。としての工藤遥や、ハロの舞台にたつ工藤遥をみることは出来なかったわけですよね
それを考えると、三年前に知ることが出来て良かった!という気持ちと、いやいや遅すぎでしょ、せめて加入当時に知ってれば!という気持ちがせめぎ合います
ただ、もし卒業してから知ってたら、その時好きになってたら、「この子は卒業してる」という認識の中でハルちゃんのDVDだのをみることになってたわけで、なんかその方が良かったかもと、少し今日おもってしまったわけです
気持ち的には楽だったかもしれない
愛情には色々ありますが、私が経験してきた愛は、まず筆頭として男性への恋愛感情、そして親姉妹への愛情、友人への愛情、最後に子供への愛情ですね
この中でも友情は愛とは又違うかな
私は結構人間関係淡白で、毎日のように一緒にいたママ友とも引越しを機に普通に連絡途絶えたし、幼なじみはいないし、学校関係は卒業したら全く連絡とらなくなったし、年賀状は10年くらい前にめんどくさくなって親戚関係以外強制終了しました
そして、決定的なのは、携帯を何度か水没したことにより、バックアップしてなかった連絡先は消去され、向こうから連絡きたら又復活、を繰り返し、最後は長年使っていたアドレスを変えた直後に水没してしまってからは今度こそ本当に友達いなくなりました笑
まあ、この世の中、私に本当に連絡とりたくなったら何かしら手段はあるでしょう
だから今の私の人間関係は仕事場と今の子供関係のママ友と身内のみです
あとは細々と何かしらのSNSで繋がってる人だけです
だから友情はおいといて
身内に関しては純粋に幸せになってほしいなあ、幸せにしてあげたいなあという感情
見返りは考えませんね、当然
ただ、日常のことなので、娘に向かって毎日大好きだよ!などとは言わないし
そして、何か困難にぶち当たっても頑張れと見守ることが最初にすることです
子供に対しては愛情があるのは当たり前だけど、親なので「教育」もしていかなくてはならないし
そして何より子供に関して言えば必ず「親離れ」をしていきます
していかなくてはなりません
もちろん、「子離れ」も
上の子に関してはこれがなかなか難しかった
男の子で一人目の子というのもあり、かなり私自身も依存していたし、甘やかしていた
だから親離れの方が先にやってきました
まあ、私には下に娘もいたので、結構兄妹で歳も離れているので、寂しさは娘が補ってくれましたが、いやあ~…女の子は大人になっていくのが早いですね
もちろん今も甘えてきたり、可愛い娘ですが、私の知らない世界をもう持っているし、見守る段階に入ってると思います
愛情という点で、唯一自分でその対象をえらぶのが恋愛ですね
恋人に対しては、皆さんそうだと思うけど、やはり愛した分、愛してほしい
そういう見返りは求めます
私はあなただけを愛してるけど、あなたは私以外の人もたくさん愛していいのよなんていう人はいないと思います
一夫多妻制の国でだって嫉妬はするみたいですし
さて、私が今回生まれて初めて感じている愛の対象が工藤遥ちゃんなわけです
私の49歳という年齢も考えて、確かに親目線での感情もあります
でも圧倒的に完全に違うのは、子供には感じない「性的なもの」を工藤遥には感じるってことですよ!
はい、言った!
言いきってしまいました!
誤解を招くかもだけど、私には同性愛的な嗜好はありません
それを否定してるわけではなくて、私にはない
でも、例えば、娘や息子が異性とあんなことやこんなことしてるのはもちろん、キスシーンでさえも見たくない!想像するのもちょっと嫌なわけです
でも、ぶっちゃけ私はハルちゃんのは見たい!
もちろん工藤遥自身の秘め事を見たいわけではなく、お芝居、女優さんとしての、ですが
そこが完全に親目線ではないと思うわけです
じゃあいわゆるガチ恋か?と言えばそれもまだ違う
いや、ガチ恋の定義がよくわからない上に、ガチ恋をしてると言ってる人達の中でもその定義が色々だったりするのもあるけど
でも多分ガチ恋って、その人の愛情を自分にだけ向けてほしいってのが前提にあるんじゃないの?
本当のリアルな生活での恋愛のように
それははっきり言って、全くない!
ナッシングです!
むしろ、私の存在など知られたくもない
例えばハルちゃんが、ハルは色んな年代の老若男女に愛されたいの♪とおっしゃるなら、「はーいはーい!49歳女性、1番好きなのハルちゃんでーす」ぐらいは何回でも言いに行くけど
じゃあつまりこれは「愛情」の中でもなんの種類になるんですかね?
これ、私の人生の卒論のテーマでもあります
「工藤遥への愛の正体とは」
ハルちゃんにはこの世の中の誰より幸せなってほしい
ハルちゃんの望むものを全て与えてあげたい
世界中の人にハルちゃんを好きになってもらいたい
話はずーっと前に戻りますが、リアルタイムでハルちゃんの人生を見たくないかもしれない、何故なら今後ハルちゃんが悲しんだり辛かったりするかもしれないし、少なくとも、してるんじゃないかな?って心配になったり辛くなったりするから
「元モーニング娘。の一人としてあんなことこんなことあって、2017年に卒業してからこんなことあんなことあったけど、めちゃくちゃいい人にめちゃくちゃ愛されて結婚して可愛い子供に恵まれて、又仕事復帰して両立させながらすんごい幸せに暮らしている工藤遥という女性がいます。では今までの工藤遥さんの半生をふりかえりましょう」
こんな冒頭から始まって過去を振り返っていくのなら、すっごい気分が楽でしょ?
私はスポーツニュースで結果を知ってから試合を見るタイプなんですよ、多分
そんであちこち言ったこの話をもうまとめる気力もないけれど
言いたかったことは、工藤遥ちゃんの芸能界での人生はまだスタートではないけど、ちょっと進んだあたりだけど、これからも応援するしていくし、応援していく中で好きすぎるから、どうなるか結果をもわからないから不安もあるけど、とにかく辛いくらい好きなのでどうか幸せなって下さい!ってこと!
ハルちゃん、大好きだよ!